肺がんは、日本におけるがん死亡数の第1位を占める深刻な疾患です。その原因は一つではなく、喫煙、アスベスト(石綿)へのばく露、遺伝的要因、そして生活習慣など、複数の要素が複雑に絡み合って発症に至ります。特に、職業上あるいは環境中で有害物質にばく露することは、肺がんの重要なリスク要因として認識されています。
この記事では、肺がんの最大の原因である喫煙をはじめ、かつて建材などに広く使用され、今なお健康被害が問題となっているアスベスト(石綿)に焦点を当て、肺がん発症のメカニズムを深く掘り下げます。さらに、遺伝的要因やその他の環境要因についても解説し、肺がんのリスクを正しく理解し、具体的な予防策へと繋げるための情報を提供します。
ご自身や大切な人の健康を守るため、肺がんの原因に関する正確な知識を身につけましょう。
肺がんの主要な原因とそのメカニズム
肺がんの発症には、様々な要因が関与しています。ここでは、主要な原因とされる「喫煙」「受動喫煙」「アスベスト(石綿)」「遺伝的要因」「その他の環境要因」について、そのメカニズムとリスクを詳しく解説します。
喫煙が肺がんを引き起こすメカニズムとリスク
喫煙は、肺がんの最大の原因であり、そのリスクは科学的に明確に証明されています。厚生労働省の報告によれば、喫煙男性は非喫煙者に比べて肺がんによる死亡率が約4.5倍も高くなっています。タバコの煙には、約200種類の有害物質と約60種類の発がん性物質が含まれており、これらの物質が肺の細胞の遺伝子を傷つけることで、がん細胞が発生します。
正常な肺の細胞は、整然と並んでいますが、タバコの煙に長期間さらされると、細胞の遺伝子に異常が生じ、無秩序に増殖を始める「がん細胞」へと変化します。このがん細胞のかたまりが、肺がんです。喫煙を始めた年齢が若く、喫煙量が多いほど、肺がんになるリスクは高まります。

出典:おしえて がんのコト (oshiete-gan.jp) 「肺がんの原因は喫煙?遺伝?考えられる原因について解説」
https://oshiete-gan.jp/lung/about/cause/
受動喫煙による肺がんリスクとその影響
自身はタバコを吸わなくても、他人のタバコの煙を吸い込む「受動喫煙」も、肺がんの明確な原因です。国立がん研究センターの研究では、受動喫煙と肺がんとの因果関係は「確実」と判定されています。家庭や職場など、日常的に受動喫煙の機会がある人は、そうでない人に比べて肺がんのリスクが約1.3倍になると報告されています。
受動喫煙によって吸い込む煙には、喫煙者が直接吸い込む主流煙よりも多くの有害物質が含まれていることがあります。特に、換気の悪い空間での受動喫煙は、リスクをさらに高めるため、注意が必要です。
アスベスト(石綿)と肺がんの深い関連性
アスベスト(石綿)は、かつて建材や断熱材として広く使用されていた天然の鉱物繊維です。その極めて細かい繊維を吸い込むことで、肺がんや悪性中皮腫などの深刻な健康被害を引き起こすことが知られています。職業的にアスベストにばく露した人は、そうでない人と比較して肺がんの発症リスクが5倍にもなると推定されています。
アスベストが肺がんを引き起こす正確なメカニズムは完全には解明されていませんが、肺の細胞内に取り込まれたアスベスト繊維が、物理的な刺激を長期間与え続けることで、細胞のがん化を促進すると考えられています。アスベストばく露から肺がんが発症するまでの潜伏期間は15年から40年と非常に長く、過去にばく露した人が、数十年後に発症するケースが多く報告されています。
遺伝的要因が肺がん発症に与える影響
肺がんの発症には、個人の遺伝的な要因も関わっていることが分かってきています。特定の遺伝子の変異を持つ人は、持たない人に比べて肺がんになりやすい傾向があります。例えば、国立がん研究センターの研究では、若くして肺腺がんを発症した患者の一部に、BRCA2やTP53といった遺伝子の生まれつきの変異が見られることが報告されています。
これらの遺伝子は、本来、傷ついたDNAを修復する働きを持っており、この機能が低下することで、がん細胞が発生しやすくなると考えられています。ただし、遺伝的な要因だけで肺がんになるわけではなく、喫煙や環境要因など、複数の要素が組み合わさることで発症リスクが高まります。
その他の環境要因と生活習慣
喫煙やアスベスト、遺伝的要因の他にも、肺がんのリスクを高める環境要因や生活習慣が存在します。例えば、大気汚染、ラドン(土壌や岩石に含まれる放射性物質)、ヒ素、クロロメチルエーテルなどの化学物質への職業的なばく露が挙げられます。
また、食生活の乱れや運動不足といった生活習慣も、間接的に肺がんのリスクに影響を与える可能性があります。バランスの取れた食事や適度な運動は、体の免疫機能を正常に保ち、がんの発生を抑制する上で重要です。
アスベストによる肺がん:種類、発症メカニズム、診断基準
アスベスト(石綿)は、その特性から過去に多岐にわたる用途で利用されてきましたが、その繊維が人体に与える影響は深刻です。ここでは、アスベストの種類から肺がん発症のメカニズム、そして診断基準までを詳しく解説します。
アスベストの種類と健康影響の違い
アスベストは、天然に産する繊維状ケイ酸塩鉱物の総称であり、大きく分けて「蛇紋石(じゃもんせき)グループ」と「角閃石(かくせんせき)グループ」の2種類に分類されます。厚生労働省や環境省の資料によると、具体的な種類としては、クリソタイル(白石綿)、アモサイト(茶石綿)、クロシドライト(青石綿)、アンソフィライト、トレモライト、アクチノライトの6種類が挙げられます。
アスベストの種類 | グループ | 特徴 | 健康影響 |
---|---|---|---|
クリソタイル(白石綿) | 蛇紋石 | 柔軟で加工しやすい。最も多く使用された。 | 肺がん、悪性中皮腫など |
アモサイト(茶石綿) | 角閃石 | 耐熱性、耐酸性に優れる。 | 肺がん、悪性中皮腫など |
クロシドライト(青石綿) | 角閃石 | 耐酸性、強度に優れる。最も毒性が強いとされる。 | 肺がん、悪性中皮腫など |
アンソフィライト | 角閃石 | 肺がん、悪性中皮腫など | |
トレモライト | 角閃石 | 肺がん、悪性中皮腫など | |
アクチノライト | 角閃石 | 肺がん、悪性中皮腫など |
これらのアスベスト繊維は、非常に細かく、空気中に飛散すると肉眼では見えません。吸い込まれた繊維は肺の奥深くまで到達し、体内に長期間留まることで様々な健康被害を引き起こします。特に、クリソタイル繊維は胸部悪性腫瘍と最も大きな関連を有するとされていますが、角閃石系アスベストも同様に肺がんのリスクを高めます。
アスベストが肺がんを引き起こす具体的なメカニズム
アスベストが肺がんを引き起こすメカニズムは、まだ完全に解明されているわけではありませんが、主に以下の2つの経路が考えられています。
① 物理的刺激
吸入されたアスベスト繊維は、肺の組織や細胞に物理的な刺激を与え続けます。この慢性的な刺激が、細胞のDNAに損傷を与え、がん化を促進すると考えられています。特に、細くて長い繊維ほど、肺の奥深くに到達しやすく、排出されにくいため、より強い刺激を与える可能性があります。
② 炎症反応と酸化ストレス
肺に沈着したアスベスト繊維は、マクロファージなどの免疫細胞によって異物として認識され、炎症反応を引き起こします。この炎症反応の過程で、活性酸素種(ROS)などの有害物質が生成され、細胞に酸化ストレスを与えます。酸化ストレスはDNA損傷を誘発し、がんの発生に繋がると考えられています。
アスベスト繊維は、一度肺に取り込まれると、その多くが体外に排出されずに肺内に蓄積されます。このため、ばく露から数十年という長い潜伏期間を経て、肺がんが発症することが特徴です。
アスベスト関連肺がんの診断基準「ヘルシンキ基準」とは
アスベスト関連疾患の診断と原因判定には、国際的な診断基準である「ヘルシンキ基準」が広く用いられています。この基準は、1997年に初めて発表され、2014年には新たな知見に基づいて改訂されました。ヘルシンキ基準は、アスベストばく露歴、臨床所見、画像診断、病理組織学的検査の結果などを総合的に評価し、アスベストと疾患との因果関係を判断するための指針となります。
特に、アスベスト関連肺がんの診断においては、以下の点が考慮されます。
・ アスベストばく露歴
職業歴や居住歴などから、アスベストへのばく露があったかどうかを確認します。ばく露量や期間も重要な要素です。
・ 潜伏期間
アスベストばく露から肺がん発症までの期間が、一般的に知られている潜伏期間(15~40年)と合致するかどうか。
・ 他の原因の排除
喫煙など、肺がんの他の主要な原因が十分に考慮され、アスベストが原因である可能性が高いと判断されること。
・ 病理組織学的所見肺組織中にアスベスト小体やアスベスト繊維が確認されること。
ヘルシンキ基準は、アスベスト関連疾患の労災認定や救済制度の適用においても重要な役割を果たしています。この基準は、アスベストばく露と肺がんの因果関係を客観的に評価するための国際的な合意形成に基づいています。
喫煙とアスベストばく露の相乗効果
喫煙とアスベストばく露は、それぞれが独立して肺がんのリスクを高める要因ですが、これらが組み合わさることで、肺がんの発症リスクは相乗的に上昇することが知られています。アスベストへのばく露がある喫煙者は、非喫煙者でアスベストばく露がない人と比較して、肺がんのリスクが著しく高まります。
例えば、アスベストにばく露していない非喫煙者の肺がんリスクを1とした場合、アスベストにばく露した非喫煙者のリスクは約5倍、喫煙者でアスベストにばく露していない人のリスクは約10倍、そしてアスベストにばく露した喫煙者のリスクは50倍以上にもなるとの報告もあります。これは、アスベストとタバコの有害物質が、それぞれ異なるメカニズムで肺の細胞に損傷を与え、がん化を促進するためと考えられています。
この相乗効果は、アスベストばく露歴がある喫煙者にとって、禁煙が肺がん予防において極めて重要であることを示しています。禁煙することで、肺がんのリスクを大幅に低減できる可能性があります。
肺がんのリスク低減と予防策
肺がんのリスクを低減し、発症を予防するためには、原因となる要因を避けることが最も重要です。ここでは、喫煙、アスベストばく露、そして早期発見のための対策について解説します。
禁煙・受動喫煙防止の重要性
喫煙は肺がんの最大の危険因子であるため、禁煙は肺がん予防の最も効果的な手段です。禁煙することで、肺がんのリスクは時間とともに着実に低下し、禁煙後10年で喫煙を続けた場合の約半分にまで減少すると言われています。また、受動喫煙も肺がんのリスクを高めるため、非喫煙者も受動喫煙を避ける環境を整えることが重要です。公共の場での禁煙はもちろんのこと、家庭内での喫煙も避けるべきです。
喫煙は、肺がんだけでなく、口腔がん、咽頭がん、食道がん、胃がん、膵臓がん、膀胱がんなど、多くのがんの原因となることが明らかになっています。さらに、慢性閉塞性肺疾患(COPD)や心血管疾患など、様々ながん以外の病気のリスクも高めます。健康な生活を送るためには、喫煙習慣を見直し、禁煙に取り組むことが不可欠です。

出典:おしえて がんのコト (oshiete-gan.jp) 「肺がんの原因は喫煙?遺伝?考えられる原因について解説」https://oshiete-gan.jp/lung/about/cause/
アスベストばく露対策と環境管理
アスベストによる肺がんを予防するためには、アスベストへのばく露を避けることが唯一の確実な方法です。過去にアスベストが使用された可能性のある建物の解体や改修作業に従事する際は、適切な保護具の着用や作業手順の遵守が義務付けられています。一般の人がアスベスト含有建材に触れる機会は少ないですが、老朽化した建物や不適切な解体作業などにより、アスベストが飛散するリスクはゼロではありません。
アスベスト含有建材が使用されている可能性がある場合は、専門業者による調査と適切な除去・封じ込め措置が必要です。環境省や厚生労働省は、アスベストに関する情報提供や相談窓口を設けており、不安がある場合はこれらの機関に相談することが推奨されます。また、過去にアスベストにばく露した可能性がある場合は、定期的な健康診断を受けることが重要です。
定期的な健康診断と早期発見の重要性
肺がんは、初期段階では自覚症状がほとんどないことが多く、症状が現れた時には進行しているケースが少なくありません。そのため、定期的な健康診断による早期発見が非常に重要です。特に、喫煙歴がある方、アスベストばく露歴がある方、家族に肺がんの既往がある方など、肺がんのリスクが高いとされる方は、定期的な胸部X線検査やCT検査などの精密検査を受けることを検討すべきです。
早期に肺がんを発見できれば、治療の選択肢が広がり、治癒率も高まります。症状がなくても、リスク要因に心当たりのある方は、かかりつけ医や専門医に相談し、適切な検査を受けるようにしましょう。
参考文献
・ 厚生労働省:アスベスト(石綿)に関するQ&A https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/sekimen/topics/tp050729-1.html
・ 環境省:石綿に関する基礎知識
https://www.env.go.jp/air/asbestos/chpt03_2-2.pdf
・ アスベストセンター:ヘルシンキ基準 2014
https://www.asbestos-center.jp/research/
・ 厚生労働省:資料7 喫煙の健康影響について
https://www.mhlw.go.jp/topics/tobacco/kaigi/060810/07.html
・ 厚生労働省:喫煙とがん
https://kennet.mhlw.go.jp/information/information/tobacco/t-03-001.html
・ 国立がん研究センター がん情報サービス:肺がん 予防・検診
https://ganjoho.jp/public/cancer/lung/prevention_screening.html
・ 国立がん研究センター:受動喫煙が肺がんの遺伝子変異を誘発することを証明
https://www.ncc.go.jp/jp/information/pr_release/2024/0416/index.html
・ 国立がん研究センター:若年発症肺腺がんの一部に BRCA2やTP53遺伝子の遺伝的要因
https://www.ncc.go.jp/jp/information/pr_release/2025/0709/index.html
・ 国立がん研究センター がん情報サービス:がんの発生要因
https://ganjoho.jp/public/pre_scr/cause_prevention/factor.html