アスベスト(石綿)による健康被害は、その深刻さと潜伏期間の長さから、多くの被害者やそのご家族が苦しんでいます。もし、あなたがアスベストによって健康被害を受け、「訴えたい」と考えているのであれば、企業への損害賠償請求や各種救済制度の活用が可能です。本記事では、アスベスト被害における法的救済の選択肢、特に企業への損害賠償請求に焦点を当て、その概要、請求の根拠、手続きの流れ、そして利用可能な他の救済制度について詳細に解説します。

アスベストが引き起こす健康被害と「訴える」必要性

アスベストとは何か?その危険性

アスベストは、天然に産する繊維状のケイ酸塩鉱物であり、「せきめん」または「いしわた」と呼ばれます。その繊維は非常に細かく、空気中に飛散しやすい性質を持っています。この微細な繊維を吸入すると、肺の奥深くに到達し、体内に長期間滞留することで様々な健康障害を引き起こします。アスベストの危険性は、そこにあること自体ではなく、飛び散った繊維を吸い込むことにあるため、過去にアスベストが使用されていた環境にいた方は注意が必要です [1]。

アスベスト繊維のイメージ 出典:日本電子「光学顕微鏡で観察した繊維のSEM/EDSによる分析(アスベストCLEM)」

アスベストが原因で発症する主な病気

アスベストの吸入によって引き起こされる病気には、主に以下のものがあります [1]。これらの病気は、アスベストを吸入してから発症するまでに非常に長い潜伏期間があることが特徴です。

・ 石綿肺(せきめんはい)
肺が線維化する「肺線維症(じん肺)」の一種で、アスベストのばく露によって引き起こされるものを特に石綿肺と呼びます。職業上アスベスト粉塵を10年以上吸入した労働者に起こるとされ、潜伏期間は15~20年と言われています。ばく露をやめた後も進行することがあります。

・肺がん
アスベスト繊維が肺細胞に取り込まれることで、物理的刺激により肺がんが発生すると考えられています。アスベストばく露から肺がん発症までの潜伏期間は15~40年とされ、ばく露量が多いほど発生リスクが高まります。喫煙との相乗効果も指摘されています。

・悪性中皮腫(あくせいちゅうひしゅ)
肺を覆う胸膜、肝臓や胃などの臓器を覆う腹膜、心臓を覆う心膜などにできる悪性の腫瘍です。若い時期にアスベストを吸い込んだ方が発症しやすい傾向があり、潜伏期間は20~50年と非常に長いです。

これらの病気は、発症しても初期には自覚症状がないことが多く、進行してから発見されるケースが少なくありません。そのため、過去にアスベストばく露の可能性がある方は、定期的な健康診断が推奨されます。

アスベスト裁判の概要と企業への損害賠償請求

アスベスト被害に対する救済方法は複数ありますが、その一つが企業に対する損害賠償請求です。国からの補償や労災保険給付とは別に、アスベストを飛散させた企業や建材メーカーに対して直接賠償を求めることができます。これは、被害者が被った損害に対する正当な補償を求める重要な手段となります。

誰が「訴える」ことができるのか(原告)

アスベスト裁判の原告となり得るのは、主にアスベストに関連する場所で働いていた人々です。具体的には、アスベストが飛散する可能性があった工場、建設現場、倉庫、電力会社、ホテルなどで勤務していた方が該当します。また、これらの場所で働いていた方の遺族も原告となる可能性があります。

誰を「訴える」ことができるのか(被告)

アスベスト裁判の被告となり得るのは、アスベストが飛散する可能性があった原告の勤務先企業や、アスベスト含有建材を製造・販売していた建材メーカーです。過去の裁判では、複数の建材メーカーに対して責任が認められています。

企業に請求できる賠償額の目安

企業に請求できる賠償額は、アスベスト被害者に生じた損害の内容によって大きく異なります。病状の程度、治療費、逸失利益、慰謝料などが考慮されるため、一概にいくらとは言えません。しかし、死亡慰謝料については、2,500万円から3,000万円が一応の目安となることがあります。

損害賠償請求が認められるための条件と請求根拠

アスベスト裁判で損害賠償請求が認められるためには、特定の法的条件を満たす必要があります。主な請求根拠は「安全配慮義務違反」と「不法行為」であり、これらの法律要件を満たす事実を証拠に基づいて立証することが重要です。

安全配慮義務違反

安全配慮義務とは、会社が従業員の安全や健康に配慮する義務を指します。労働契約法第5条には、「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする」と明記されています [2]。企業がアスベスト対策を十分に講じていなかった場合、この安全配慮義務に違反したとして、債務不履行責任(民法第415条第1項)に基づき損害賠償請求が可能となります [3]。

不法行為責任

不法行為責任とは、故意または過失によって他人の権利を侵害した場合に認められる賠償責任のことです。単独の不法行為は民法第709条に、数人が共同で不法行為を行った場合は民法第719条第1項に定められています [4]。アスベストを飛散させた企業や建材メーカーが、その危険性を認識しながら適切な措置を怠った場合、不法行為責任を問われる可能性があります。

アスベスト裁判の手続きの流れと請求期限

アスベスト裁判は、一般的に交渉から始まり、交渉が決裂した場合には訴訟へと移行します。複雑な手続きを伴うため、全体の流れと特に注意すべき請求期限(時効)を理解しておくことが重要です。

裁判手続きの一般的な流れ

アスベスト裁判の手続きは、通常以下のステップで進行します。

① 交渉
裁判を提起する前に、まずは企業との間で事前の交渉が行われることが一般的です。この段階で和解に至るケースもあります。

② 訴状及び証拠の提出(原告)
交渉が決裂した場合、原告側は訴状を作成し、請求内容とその理由を詳細に記載した上で、裏付けとなる証拠を添付して裁判所に提出します。

③ 答弁書等の提出(被告)
訴状を受け取った被告は、それに対する回答や反論を記載した答弁書を裁判所に提出し、必要に応じて証拠も提出します。

④ 第1回期日
裁判所で最初の期日が開かれ、原告と被告がそれぞれの主張を陳述し、次回の期日調整が行われます。

⑤ 第2回期日以降
争点について、原告と被告が準備書面や追加証拠を提出し、主張・立証を繰り返します。この過程で裁判所から和解の提案(和解勧試)が行われることもあります。

⑥ 尋問
書面による証拠だけでは立証が不十分な場合、当事者や証人から直接話を聞く尋問が行われることがあります。

⑦ 最終弁論期日
尋問後、これまでのやり取りを踏まえた最終準備書面が提出され、裁判官を説得する最後の機会となります。


⑧判決
最終的に裁判所から判決が言い渡されます。判決に不服がある場合は控訴することができますが、控訴期間内に控訴がなければ判決は確定します。

請求期限(時効)に関する注意点

アスベスト裁判には請求期限、すなわち時効が存在します。この時効を過ぎてしまうと、原則として請求が認められなくなるため、早期の対応が不可欠です。請求の根拠によって時効期間が異なりますので、注意が必要です。

〇 安全配慮義務を根拠とした債務不履行責任

・ 2020年3月31日以前(改正前民法):権利を行使できる時から10年

・ 2020年4月1日以降(改正後民法):債権者が権利を行使できることを知った時から5年間、または権利を行使できる時から20年

〇 不法行為に基づく損害賠償請求

・ 2020年3月31日以前(改正前民法):損害および加害者を知った時から3年、または不法行為の時(最も重い症状が新たに判明した時点)から20年

・ 2020年4月1日以降(改正後民法):損害および加害者を知った時から5年、または不法行為の時(最も重い症状が新たに判明した時点)から20年

特に、石綿肺の賠償請求に関する除斥期間の起算点については、過去の判例で「行政が健康被害を認定した時点」と判断された事例もあり、専門的な判断が必要となります。時効の判断は複雑であるため、必ず弁護士に相談することが重要です。

弁護士に依頼するメリット・デメリットと他の救済制度

アスベスト裁判は専門性が高く、個人で対応するには多大な負担と専門知識が必要です。弁護士に依頼することで得られるメリットは大きく、また、企業への損害賠償請求以外にも利用できる救済制度があります。

弁護士に依頼するメリット

アスベスト裁判を弁護士に依頼することには、以下のような大きなメリットがあります。

・ 手続きの負担軽減
訴状作成、証拠の精査、準備書面の作成、裁判所への出頭など、裁判に関する全ての準備や手続きを弁護士に任せることができます。これにより、依頼者の精神的・時間的負担が大幅に軽減されます。

・ 請求が認められやすくなる
弁護士は法律の専門家であり、主張を証拠に基づいて的確に構成し、裁判官を説得する能力に長けています。これにより、個人で対応するよりも請求が認められる可能性が高まります。

・ 適切なアドバイスの提供
裁判の進行中に生じる様々な疑問や判断(例:和解案の受諾可否)に対して、判決の見通しを踏まえた適切なアドバイスをいつでも受けることができます。

弁護士に依頼するデメリット

弁護士に依頼する主なデメリットは、弁護士費用が発生することです。しかし、多くの場合、相談時に弁護士費用を差し引いても依頼者にとって有利になるかどうかの説明があります。裁判の見通しと弁護士費用を比較検討し、依頼するかどうかを判断することが推奨されます。

企業への請求以外の救済制度

アスベスト被害者は、企業への損害賠償請求以外にも、以下の制度を活用して金銭的な補償や給付金を受け取れる可能性があります。

・ 労災申請
仕事中にアスベストを吸入して病気になった場合、労災保険の給付を受けることができます。業務上疾病と認定されれば、治療費や休業補償などが支給されます。

・ 石綿健康被害救済制度
主に労災の対象とならない方(例えば、一般環境でのばく露による被害者)が対象となる制度です。「石綿による健康被害の救済に関する法律」に基づき、医療費や療養手当などの給付金が支給されます [5]。

・ 国を相手とするアスベスト訴訟(工場型)
アスベスト工場で働いていた方々は、国を相手に裁判を起こし、和解によって金銭を受け取ることができます。

・ 建設アスベスト給付金(建設型)
建設現場で働いていてアスベストを吸入し病気になった場合、「特定石綿被害建設業務労働者等に対する給付金等の支給に関する法律」に基づき、建設アスベスト給付金を受領することができます [6]。

これらの制度はそれぞれ対象者や要件が異なります。自身の状況に合った最適な救済方法を見つけるためにも、アスベスト問題に詳しい弁護士に相談することが最も確実な方法です。

参考文献

[1] 厚生労働省. アスベスト(石綿)に関するQ&A. https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/sekimen/topics/tp050729-1.html

[2] e-Gov法令検索. 労働契約法. https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=419AC0000000128

[3] e-Gov法令検索. 民法. https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=129AC0000000089

[4] e-Gov法令検索. 民法. https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=129AC0000000089

[5] e-Gov法令検索. 石綿による健康被害の救済に関する法律. https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=418AC0000000044

[6] e-Gov法令検索. 特定石綿被害建設業務労働者等に対する給付金等の支給に関する法律. https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=426AC0000000054